散歩して幸せになる、ということ

いろいろ思うこと

散歩という言葉は「気の向くままに自由である」ということを想像させてくれる。そして、人は誰でもその想像によって幸せになった気分になる。例えば、家に居て「ぶらり散歩云々」という雑誌を読んでいる時もそういう気分に浸っているんだろうと思う。

ここで、本ブログ「まつぼんの幸せ散歩」における「散歩」の思いを述べさせてもらいたい。本ブログにこれから書こうとしていることは、まつぼんが「気の向くままに自由な散歩」をした計画でも記録でもない。そもそも、どこどこを散歩しようと計画して実行するということ自体が散歩に失礼である。散歩とは文字どおり「歩を散らす」ことで、歩の目的があってはいけないもの、と私は勝手に考えている。だから、「パンを買うためにちょっとそこまで散歩してくる」は散歩ではない。「ちょっとそこまで散歩してくるけどパン屋さんがあれば買ってくる」というのが散歩だと思っている。

いまの社会は何をするにも目的とか目標とか言って人を縛り付け、そしてタスクを背負わせている。だからこそ、趣味のブログは目的も無いままに思いつくことを自由気ままに書きたいと思っている。何者からも解放された自由を持って社会と関わっていく、そこに人間本来の幸せがあるのではないだろうか。
目的もなく目標もなく、今の思いを書き綴ることで今を生きる自分を見つめ直す。そのようなブログでありたいと思っている。
私はこのブログを書くことで幸せになるのだ。
みなさまにとっても自分自身の幸せについて思い巡らす機縁としていただけることを願いつつ。

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